2012年6月アーカイブ




機内食はまずくて、空港から鉄道への乗り換えも分かりにくい。
そしてなんとなく荒々しい。
ワルシャワの様な白人の国の雰囲気とは違う。
23時、着いた宿の居心地は良くない。なんかくたびれた様な宿。
シャーワーも水だけ、しかもなんか臭い。
しかし、バルセロナへの期待は萎える事はなかった。
久しぶりに修行の様なシャーワータイムを終え、我慢できずに、サクラダファミリアへ。
夜のバルセロナはオレンジの街灯に照らされ、思いのほか静かで、生温い温かい空気が街に充満していた。
シャワーで冷えた体を、ビールの力も借りて回復させる。
なんとなく楽しい気分で歩く事15分。
サクラダファミリアとの遭遇は大きなクレーンからだった。
ライトアップされたその姿はやはり期待よりは小さかったけど、その装飾はとても面白かった。
夜のライトアップと門の外からしか見えないので細かいところは何がなんだかゴチャゴチャしていて分からなかったが。
それは昼間出直すとして、、、。
ある程度写真を撮り終えると、ちょうどライトが消えた。
12時だった。
今日はピカソ、ダリ、そしてまたガウディ、現代美術館も。観光名所を制覇する。

写真はワルシャワで今日行われるFashion streetというイベントのリハ。
本番もぜひ写真に収めたかったのに、昨日から空港に泊まり込み。
ワルシャワのメインストリートには、前日までは跡形も無かったセットが一晩のうちに組み上げられ、そこを闊歩するいい女、いい男。
その足元で黙々と作業する男達。
いい女には目もくれず。これは嘘かも、、、。
しかしダラダラとリハをこなすモデル一同よりも、黙々とちゃっちゃと作業をこなす男達。
かっこいい。
警備のおじさんに聞いたところ、
「本番は今日の20時から!」
という事で、街をブラブラ歩き、公園で昼寝し、会場に戻るとモデル達がまだリハーサルをしていた。
約4時間以上。
20時まであと1時間も無いのに!!
モデルさんも大変だと気づく。
想像以上に力の入ったイベントなのかもしれないと期待が膨らんだ、、、。
ちなみに20時どころか22時になっても何も起こりませんでした。
本番は今日だな。。。

写真はワルシャワの街角。
街灯の根元は折れ曲がり、その修復作業中。
ワルシャワの街は大戦時にほぼ壊滅。
そして昔のままを修復しようと努力した人々の手により素晴らしい街は復活した。
善くも悪くも新しく素晴らしい街が生まれ、そこにまた生きる喜びと誇りが生まれた。
進めば何かが生まれる。
そしていつか壊れるなら早くぶっ壊して新しいものを取り入れ、大きくしたい。
自分を壊したい。
一人の男として進んでいきたい。
旅は否応無く現実を突きつけ、壊す事を強制する。
まさに善くも悪くも。
時に憤慨し、時に胸を締め付けられる想いに駆られる。
ワルシャワをもって東欧の旅は終わる。
ここから飛行機でバルセロナへ。
今回の旅でもっとも期待している街。

夜、雨は上がり、ポズナンの街の河原は多くの市民、観光客、スタッフで溢れ、無数のランタンが空を舞った。
24時。
皆が思いを込め、空に放った色とりどりのランタンはみな薄い雲の中に吸い込まれて行った。
紙と細い針金で作られたランタンは頼りなく、飛び立つ前に燃えてしまうもの、なかなか飛び立てないもの、浮力が十分でなく観客に向かって急降下するもの、勢いよく空へ解き放たれるもの。
それはまさに浮遊する魂を見ている様な光景。
無数の光。
様々な人間がここに集い、それぞれが慎重に火を灯し空に送り出した光達。
気がつくと足元に飛び立つ事が出来なかったランタンと雨からランタンを守ったビニール袋が無惨な姿を晒していた。
見上げれば幻想の世界。
見下ろせば現実の世界。



写真はスロバキアのショッピングモールの入り口。
ローラースレートとピストルとチャリとwifiが並んでいた。
こんな風にピストルはとても身近な存在なのだろう。
こんな表示でピストル持ってる人が引き返す、もしくは誰か、どこかに預けてこようなんて事はないだろうけど、、、。
歴史的に古くから東欧も争いが絶えず、今でもその余波は収まっていない。コソボは世界的に国として認められるには至っていない。各国間の交通にも所々支障がある。ピストル禁止のマークはよく見る。
衝撃的だったのはブルガリアで見たローズフェスティバルの中、パレードを写真に撮っていた時。
道着を来た子供たちがパレードの流れにのって現れ、空手か合気道か護身術を披露していた。
そして組み手を披露する段階でピストルを持った敵が想定されていた。
木で作られたピストル型の模擬銃を、1人がもう1人の額に向け、構え、模擬銃を突きつけられた側は模擬銃をいなし、奪い、相手の額に向け構える。これを繰り返していた。
ま、海外の事だし、更に子供だからグダグダでみんな笑顔だ。
けどその楽しい雰囲気の中、ゾクッとした。
偽物とはいえ銃を人に向ける事。
とても恐ろしい事のように思えた。
単純に自分が銃を額に向けられる事を想像し、ビビった。
ちなみにピストルはもちろんだけどチャリでショッピングモールに入っては駄目ですよね。



クロアチアはとても綺麗な国だ。ドブロブニク、スプリット、ザグレブ。
けど観光都市にありがちな公共機関の方の冷たさは否めない。
写真はスプリットの港。
ここからでる船は国内はもちろんイタリア行きなど国際線も出ている。
船の旅は何度かあるけど、一番長かったのは40時間近くだった気がする。
大阪から上海。
めちゃくちゃ暇で死にそうだったのを覚えている。
もし太陽の光も無い様な閉鎖空間だったら死んでしまってたかもしれない。
かといって曇っていてずっと変わらない淀んだ真っ黒な大海原。
そんな大きくない船だったからアミューズメントは何もなし。
初めての海外一人旅の出だしはなかなかのものだった。
このあともっとハードな旅路があるとはあの時は知らなかった。
とにかく船旅は嫌いだ!

サラエボ。
1992年から始まった紛争はほぼ4年という長い時間を経て終結した。
2012年、現在もその当時を思わせる銃弾の痕が生々しく残るビルも多々残っている。
当時、あまりの多くの犠牲者にオリンピックで使われていたスタジアムの敷地をお墓にしたものが残っている。
これらは今も争いというものがどういう結果を生むのか知らしめんとしている。
人によってはただの観光地なのだろうが、考えさせられざるをえない。
しかし過去は過去だ。
今はオリンピックスタジアムの跡地で子供たちのためのお祭りが開かれ、皆の笑い声に救われる。
どんな想いで兵士たちは散っていったのか。
今は亡き彼らに見守られ育って行く子供たちはどんな想いで世界を見ているのか。
Anyway,Keep going on this world.

ブカレストに着いて二日。
ブルガリアの綺麗な街を見た後だと、ブカレストの街は荒廃的にさえ見える。
街にはジプシー、物乞いの数はとても多く感じるし、廃墟となっている建物も多い気がする。
国境から乗せてくれた学生カップル。
とても優しかった。
けど、ブカレスト郊外の面白い形をした建物に興味を持った自分に、「あれはジプシーの物だから」と軽蔑を露にした。「絶対にお金なんか渡しては駄目だ」とも言った。
彼らの中にどういう物が育て上げられてきたかは分からない。
それはとても深い闇のように感じるのは自分が彼らから見れば眩しい光の中から来た者だからかもしれない。
自分のいる場所の明るさは目が慣れてしまっていて分からない。
明るいところからでは闇の深さは測れない。
闇に目を慣らす必要がある。
闇に慣れれば光の中は見る事が出来ない。
自分の中に育った物は体の隅々まで行き渡り、条件反射のようにいろんな事を瞬時に判断してしまう。
本当は闇も光もない。
すべてはただそこにあるだけだ。
それを未完成な目、心で見ている自分。
ブルガリア側で国境まで乗せてくれたおばちゃんはソ連時代が懐かしく、いい思い出だとも言った。
旅は色んな角度から世界を日本を自分を見せてくれる。


ブルガリア、カザンラクという街。
バラの谷と呼ばれるこの街の周辺で年に一度開催されるバラ祭り。
綺麗なブルガリアの少女達が伝統的な服装を身に纏い、バラの花を摘み、少女たちが投げ上げた花びらは香りを楽しませてくれる。
ブルガリアは世界最大のバラ生産地。
バラの収穫はロマ(ジプシー)が働くことが多いと聞いた。
ロマは最近まで国籍の無い、放浪の民だった。
彼らは貧しく、伝統衣装に身を包んだ少女たちとは違い、よく焼けた肌に、素直な笑顔。
そして積んだバラはビニール袋に詰められ、重さを量られ,運ばれている。
裏側というものはこういうものだ。
そんなことは知ってるはずなのに、何かを考えてしまう電車のうたた寝直前。

