
昔、海外に出てきている人に自分はこう言ったことがある。
「自分が思っているより変わってないですよ。」
それはその人が、日本にいた時から自分はだいぶ変わったと言いだしたからだった。
人は、世界は何もしていないようで、常に変化している、だから自分に触れることが多い海外での生活でその変化を感じるようになっただけだということも含めて言ったのだけれど、なんでこんな意地悪なことを言ったのか今になって不思議に思う。
そして言葉が足りなかった。
自分の語りはなかなか伝わりづらいということが最近思い知らされたことで、自分の場合、結論というか、説明が少ないことを先に発表することが多い。
自分が聞く立場の時は、それについて自分なりに考え、場面に当てはめて、疑問や質問を捻り出すわけだけど。
すべての人がそうではなく、その裏を考えることなく、ただ、発せられた言葉にのみ反応しているように感じられる。
具体例を発表してもその具体例に固執して反論してくる。
というように想像力がないというか、寛容さがないというか、、、。
時と場合によって、具体例も変化するということがわからないというか。
もちろん自分にも責任はあると思う。
自分の中で答え、信念が明白で極端な物言いをしていること。
というのはあえて、わざと極端な物言いをして、議論に持ち込もうとしていること。
相手を説き伏せたいということもあるかもしれないけど、それより相手が何を考えているのか、どんな思いで生きているのか知りたいから、ということが大きい気がする。