二月は本当に早かった。
もう終わってしまう。
と同時に出発の日が近づいている事を感じる。
三月になればあと4ヶ月。
本当に待ち遠しい。
大学時代から短くても年に二度は旅に出てた自分にとってこの6ヶ月はもう限界に近い。
体が旅を求めている。
あのうきうきはもう自分にとって必要不可欠なものだ。
旅依存症、、、。
二月は本当に早かった。
もう終わってしまう。
と同時に出発の日が近づいている事を感じる。
三月になればあと4ヶ月。
本当に待ち遠しい。
大学時代から短くても年に二度は旅に出てた自分にとってこの6ヶ月はもう限界に近い。
体が旅を求めている。
あのうきうきはもう自分にとって必要不可欠なものだ。
旅依存症、、、。
五冊目、イスラエル。
三年前、エジプト、イスラエルを2週間ほど旅した。
正確にはほとんどイスラエルにいた。
あの頃が懐かしい。
いろんなモノを感じ、色んな事コトを疑問に想い、有意義な時間だった。
なぜイスラエルに行ったのか。
自分は人間というもの自体に興味があるのかもしれない。
逞しく、素敵な人々にはこれまで幾度となく会えたと思う。
けどその逆も見てみたい。
おぞましく、残忍な人間の姿。
それは同じ人間として必ずだれでも持ち合わせているもの。
その歴史が繰り返されたイスラエル。
想像していたよりは平和ではあったけど、宗教や人種というものの根深さと壁を感じた。
次の旅ではアフリカでなお続く紛争を見る事ができるかもしれない。
生か死か。
本来の動物としての世界を見る事が出来るかもしれない。
計画を立てた。
7月7日。
この日を次の旅の始まりにする。
自分の28歳の誕生日。
まだ5ヶ月先ではあるけど、旅の始まりが決まっただけで興奮する。
旅立ちの日の気持ちいい緊張と旅の先にあるものへの期待。
あの旅が始まる瞬間が最高に好きだ。
インド。
この国に呼ばれてない人間が行くとただ辛いだけ。
呼ばれた人が行けば、人生観に大きないい影響を与える。
と言われている。
自分は前者。
インド入るなり、バスチケット詐欺にあい、またそのバスも乗り心地最悪。
隣のガキが通路側の自分を押し出すように我が物顔で体勢を動かし、悪路の為にバスは大きく揺れ、それが夜の間中9時間。さらに到着したバラナシで待っていたのは大量のバッタ。揺れるバスのせいで首が痛くなり、そのせいで頭も痛くなっていた自分はバス停の黒い模様をゴミか汚れと思い、近づくと一気に飛び上がり襲いかかって来た。
さらにしつこいオートリキシャーの運ちゃんに捕まり、乗ったはいいもののまた揺れる。穴、牛を避けながら走る度に頭がガンガンする。
そしてオートリキシャーの運ちゃんの雑な情報で宿に着くまで連れ回され、早朝にやっとベットに横たわり、寝た。
その約二時間後、鳩を飛ばす男の大声で眠りを妨げられ、コーランの放送に頭がひりひりした。
そして外に出ると大量の客引きとその粘り強さ。さらにヤギにしゃくり上げられるわ、これまた寄付を強要されたり、リキシャーにTシャツを破かれるわ、食堂でフルーツを残して帰ろうとしたら、インド人じゃない外国人に怒られるわ、ネットカフェにいたらやたら話しかけられて、全然ネットが出来なかったり、他にも細かい事は大量にあって、旅の疲れと暑さにもやられた。
インドに呼ばれてなかったと思った。
ただ一度だけ、はっとした瞬間があった。
ガンジス川を眺めていると雨が降って来た。
ちょうど宿に戻ろうと考えていた時で、近道をしようと細い路地に入った。
観光客がいる大きな通りとは違いまばらな店舗と人々。
牛や人を避けながら進んでいくと、正面から一人の少年が歩いて来て、すれ違う瞬間に微笑んで、日本語で
「こんにちわ」
といった。そしてそのまま去っていく。
インドに来てずっと誰にでも警戒して過ごしていた自分にその一言は自分の心に響いた。
ただ出会ったから挨拶する。
ごく自然のこと。
自分が不自然になっていた事を思い知らせれた。
その言葉で呼ばれていなかったわけじゃなく、少し早かっただけだと思った。
ハッと思い直させられる事は多くはない。
その瞬間はとても嬉しい。
自分しか分からないかもしれないが。
過去の写真をまとめてるとそういう大切な記憶が鮮明に蘇る。
次回の自主作成マガジンのテーマ国はイスラエル。
もうあれから三年経つ。
写真の魅力の一つは、撮った当時の感覚をまた感じる事が出来るところだろう。
写真とは自分にとってやはり記憶なんだと思った。
ファインダーをのぞいた時何を想ったか。
三年というのは確かに遠い過去ではない。
けど写真で思い出す事も多い。
脳が留めてはいるけど、浮かんでこない記憶達が、写真を通して蘇ってくる。
旅に間に学ぶ事もここカナダに来て学ぶ事も多くある。
けどなぜ旅の中で感じるものは輝いて鮮烈に記憶に残っているのだろうか。
不思議で仕方ない。
旅の間も今の生活の間も時間はたっぷりとある。
けど住んでしまうと、真剣に考える回数、物事がとても減っている気がする。
なんかパッとしない。
早く旅に出たい!
今日はー8℃。
一昨日は12℃。
温度差20℃。
東京にいた時冬はとても寒かった記憶がある。
それでも0℃あたり。
氷点下でも以外とやっていける。
そう考えると、結局気の持ちようでだいぶ感じるものが変わってくるということを思う。
それは身体的にも精神的にも。
トロントの冬はもっと厳しいと期待していた。
極寒の世界に住むというのは淡い期待だったようだ。
遠い昔。エスキモー達は暖房という暖房もなく、動物の骨や皮でテントを作り、そこに住んでいた。
よくそんなもので寝れたものだ。
簡単でないにしろ、極限の世界でも生きて行ける能力を今の人間も持っているはずだ。
いつか極限に近いものを体験してみたい。